はじめに

2006年1月にココログではじめました『Welcome to The Modern World 仙台発 舞台監督・山品の戯言』http://modernworld.cocolog-nifty.com/)というブログがございますが、お陰様で日々定期的に読んでくださる方も増えました。そちらでは、日々のニュースや野球観戦、サッカー観戦、子供のことなどまだまだ綴っていこうかと考えていますが、自分の一番大好きなロックのことが伝え難い部分も感じています。
そこで、今回自分の大好きなロックな音達を伝えて行ければと、こちらexblogにて新企画をスタートさせたいと考えました。

音楽やアルバム紹介をしているブログは数々ありますし、皆さん私よりも豊富な知識をお持ちです。そこで、何か特色があり、自分のミュージシャンやアルバムへの想い入れを強く出せる手段はないものかと考えました。
そこで辿り着いたのが、今回スタートをさせます『WORLD ROCK CORRELATE』です。
世界中には数え切れないほどのロック・アルバムが存在します。その中には、世界中の人々を何十年にも渡って感動を与え続けるものや、素晴しい音楽性にも関わらず多くの人の耳には届くことがなかったもの様々なものが存在します。勿論、万人の目から見て粗悪だと感じるものも存在します。
そんな数え切れないロックのアルバム達を、制作に関わった人間相関図で結んでみようと思いました。
主には、参加したミュージシャン繋がりが多くなるかもしれませんが、プロデューサーやレコーディング・エンジニア、場合によってはギター・テクニシャンなど人間関係で世界中の名盤を繋いでみようと思います。

「友達の輪!」ロック版、さてどこまで続くやら・・・。

2006年7月19日
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# by modernworld | 2007-12-31 23:59 | 雑記

vol.4 truth

前回から随分開いてしまいました。「めげたかな?」と思われた方もいたでしょうか?実は一度、記事を仕上げたのですが、「送信」をしたら「エラー」の表示、投稿画面に直接タイプしていたので、約2時間かけた思い入れは「あの世行き」になりました。
それでめげていたのもあるのですが、これを書くにあたっては、そのシーンに出てくる作品を聴きながら書かないと、気持ちが盛り上がらないもので、東京や新潟、熊本へ仕事に出向いていたので、記事内容に則した音源が手元になく更新が滞ってしまいました。
今後も、長期遠征が入ると、こんなことあるかもしれませんが、懲りずに覗いてやって下さい。
さて言い訳は、この辺りにして本編へまいりましょう。


c0083028_13255231.jpg前回はビリー・プレストンを取り上げましたが、今回もキーボーディストを選びました。そして、今回も故人です。
その人の名は、ニッキー・ホプキンスNicky Hopkinsです。『Sticky Fingers』では、「Sway」でピアノを弾いています。

それでは、恒例の「簡単に」と言いながら、簡単に収まっていない紹介からいきましょう。
ニッキー・ホプキンスは、1944年2月24日生まれのイギリス人です。全く同じ日にアナウンサーの草野仁さんが生まれていますので、あのくらいのおじさんと思って頂ければと。彼のキャリアはイギリス一の変人?スクリーミング・ロード・サッチのサヴェージズからスタートします。時は1960年代初頭ってことなので、僕がバブバブの頃ですね。
若い頃からイギリスのミュージック・シーンで高い評価を得ていたホプキンスですが、クローン病という難病を患っていたために、活動はスタジオ・セッションが主で、当初ツアーには参加が難しかったようです。アニマルズ「朝日のあたる家」のプロデュースなどで知られ、1964年にグラミー賞の「プロデューサー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しているミッキー・モストや同様に独立系プロデューサーのシェル・タルミーといった人達に重宝がられ多くの仕事をしています。同時にフー、キンクス、ドノヴァンといった一癖も二癖もある連中にも重宝がられていますが、中でもローリング・ストーンズでは「6人目のストーンズ」と世間が呼ぶようなポジションをとり、結果としてストーンズのレコーディング・セッションから『ジャミング・ウィズ・エドワード』というミック・ジャガー名義のアルバムが生まれます。この「エドワード」とはニッキー・ホプキンスのことです。この他ビートルズ「レヴォリューション」のファズなエレピは彼の演奏としては、超有名なもののひとつでしょう。
c0083028_13273125.jpgアメリカでは、ジェファーソン・エアプレインやスティーヴ・ミラー・バンドのアルバムにも参加し、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスに加わり、ジェファーソン・エアプレインとともにウッドストックに参加するなどして「サンフランシスコ・サウンド」の確立に貢献もしています。その後、後述しますジェフ・ベック・グループへ参加しブリティッシュ・ロックの歴史に大きな足跡をしるしています。
1973年にソロ・アルバム『夢見る人 The Tin Man Was a Dreamer』をジョージ・ハリスン、ミック・テイラー、プレーリー・プリンスらの参加で制作、このアルバムでは珍しく彼のヴォーカルが耳に出来ます。
数々の名演奏を残したニッキー・ホプキンスですが、1994年9月6日にナッシュビルの病院で、腸の手術後に生じた併発症により50年という短い生涯の幕を閉じています。

c0083028_13261589.jpgさて、本題に入りましょう。ニッキー・ホプキンスが参加し、1968年に発売されたジェフ・ベックの1stソロ・アルバム(あまり、そんな言い方聞きませんが)『トゥルースTRUTH』が今回のお題。一般的には、このアルバムと次作の『ベック・オラ BECK-OLA』を「第一期ジェフ・ベック・グループ」と呼びますが、この二作品は「ジェフ・ベック」名義のリリースで、この時期のツアーも「ジェフ・ベック」でやっています。「ジェフ・ベック・グループ」は、71年の『ラフ・アンド・レディ ROUGH AND READY』からなのですが、まぁ世間では「ジェフ・ベック・グループ」の第一期って認識が普通になっています。(→こちらで、第一期の2in1アルバム試聴できます

ニッキー・ホプキンスは、この『トゥルース』では所謂サポート・メンバーとしての扱いですが、『ベック・オラ』では、正式メンバーとして迎えられています。じゃあ『ベック・オラ』を取り上げたほうが、ニッキー・ホプキンスをフューチャーしたところを考えると妥当なのでは?と思われそうですが、ROCKの話を語っている、このブログの性格と僕の想い入れという部分では、『トゥルース』を外すわけにも行かなかったのです。

ヤードバーズの脱退後、3枚のポップ路線のシングルを発表(ミッキー・モストのプロデュース)したジェフ・ベックですが、本人には不本意なものだったようで後に、これらを「自分の首にピンクの便座をかけさせることとなった曲」と語ったとも伝えられています。このポップ路線を嫌ったジェフ・ベックは、「ダーリン・オヴ・ディスコティック」というニックネームを頂戴するほどにクラブ、ディスコに入り浸り、新メンバー探しをしました。その結果、このアルバム参加メンバーのロッド・スチュワート、ロン・ウッドらと出会って、ミッキー・モスト・プロデュースの元、このアルバムを制作しますが、収録曲の半分をブルースナンバーのカヴァーで占められ、2日間のセッションを2回行なっただけで完成される経緯の裏側には、ミッキー・モストがドノヴァンのレコーディングに立会い、彼の意見が反映されず、ジェフ・ベックの思いのままに作られたということがあるようです。
しかし、ミッキー・モストには皮肉な話ですが、この作品アメリカでは、発売3日でイニシャルの4万枚が売り切れ、追加プレスするという、それまでにないスタートをきることになるのです。

そんなプロデューサーから一人歩きした作品というところに、僕の想い入れがあるのかというと、そんなジェフ・ベックも確かに好きですが、このアルバムに収められたジミー・ペイジ作の「ベックス・ボレロ」に纏わる話が、ブリティッシュ・ロックの夜明けを伝えているようで、外せずにはいられないのです。
この「ベックス・ボレロ」ですが、未だジェフ・ベックがヤードバーズ在籍時のレコーディングだと伝えられているのです。メンバーはジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、キース・ムーン、ニッキー・ホプキンス。名前を聞いただけでも「そんなセッションが、この世に存在したのか!?」って驚きや疑いの声が聞こえてきそうですが、ヤードバーズとフーがOFFのときに行なわれたこのセッション、彼らは結構本気で色々アイディアがあったようです。キース・ムーンは、このメンバーにジョン・エントゥウイッスルをヴォーカルで迎え『Led Zeppelin』と名乗ってツアーをやることを提案しています。そうです、あのツェッペリンの誕生は、この「ベックス・ボレロ」のセッションから始まるのです。しかし、ジミー・ペイジはヴォーカルに第一候補にスティーブ・ウインウッド。第二候補にスティーブ・マリオットにしようと提案し、各マネージメントとも交渉に入っていたそうです。
ところが、そうこうするうちにヤードバーズもフーも活動を再開、このお話はお流れになり「ベックス・ボレロ」1曲がこの世に残った形になったようです。

また、このアルバムには「ユー・ショック・ミー」が収録されています。そうLed Zeppelinの1stでも聴かれるシカゴ・ブルースの1曲ですが、この曲を取り上げたり「ベックス・ボレロ」の一部をオマージュ的に取り上げていますが、ジミー・ペイジのこういった行動は、ジェフ・ベックにとっては、嫌味や当て付けに感じ、二人の人間関係にヒビが入ったようです。

そのほかにも『トゥルース』がのちのブリティッシュ・ロックに与えた影響などはありますが、その辺りは僕の本名と同姓同名の音楽評論家の本でも読んで頂ければと思います。
こんな角度で、今は思いがあるアルバムですが、最初の出会いは日本人のグループからでした。1973年5月大阪厚生年金会館で行なわれた、ブルース・クリエイション、ファニーカンパニー、内田裕也さんなどによるコンサート「ロックンロール・カーニバル」のライブ盤で、ブルース・クリエイションのオープニングが「モーニング・デュー」でした。イントロの演奏中「All light come on!~」と大沢博美さんの威勢の良い掛け声で始まる「モーニング・デュー」に心奪われ、ルーツ探しをする中で通過したのが『トゥルース』でした。あの頃のブルース・クリエイションのハードな演奏には、ジェフ・ベック以上に感じるものもありました。熱かったなぁ。

さて、ようやく書き終えましたが、二度と「エラー」の文字で地獄を味わいたくなかったので、珍しくワードなんてソフトを立ちあげタイピング。何か僕には似合わないっすね!でも、次も名作紹介しますよ!次回は誰で繋ごうかな?乞うご期待!
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# by modernworld | 2006-08-04 13:34

Vol.3 Sticky Fingers

前回のジョージ・ハリスン「33・1/3」の関係者のうち、誰の繋がりで「友達の輪」を回して行くか、少し迷いました。名だたるメンバーが揃っているということもありますが、僕自身が舞台監督チームの一員としてコンサートに参加したことのあるデビッド・フォスターがメンバーにいたからなのですが、今話題として取り上げたいのはビリー・プレストンだな・・・という葛藤。(そこまで大袈裟なものでもないですが)
結局、追悼の意味も籠めましてビリー・プレストンさんを取り上げることにしました。

c0083028_5483611.jpg簡単にビリー・プレストンを紹介しましょう。写真は若かりし日のジョージとビリーでありますが、恐らく1974年に行なったアメリカ・ツアー中に撮影されたものではないかと思います。
ビートルズ・ファンには、映画「Let it be」の屋上演奏のシーンでキーボードを操る人という出会いが多いと思いますが、僕もそんな一人です。東京・三鷹の映画館で学校さぼって見ていた「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」「HELP!」との3本立で見たのが最初だと思います。
ビリーはヒューストン生まれのロサンゼルス育ちで、3才のころからピアノを始めたようです。10才を過ぎた頃には、教会でゴスペルのオルガン奏者として活動をはじめています、そして16才の時には、リトル・リチャードのバックを務めるようになっていました。その後もレイ・チャールズ、サム・クック、キング・カーティスなどの大物アーティストのバックとして活動しています。
ビートルズとの出会いは、レイ・チャールズの67~68年に行なわれたワールドツアーのロンドン・フェスティバルホールでの公演をジョージが見ていて気に入り、翌日にはビートルズが当時設立したばかりのアップル・レコードに呼び出し会っているという。一般的には、この出会いをきっかけに「Get Back Session」と呼ばれていたLet it beのレコーディングに、温厚なリンゴ・スターも手を焼くほどに不仲になったポールとジョンを機能させる為に、二人の「他人の前では良い子にしてる」という性格を利用して、人柄の良いビリーをジョージが招いたとされているが、それはそれで正しいことだと思うのだが、ビートルズへの参加は、その前の68年「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」のレコーディングからのようだ。これはビリーの公式ホームページ(こちらです)のDISCOGRAPHYに記されている。
c0083028_6484159.jpgこうしたビリーの人柄やテクニックに惚れたアップル・レコード(ジョージ?)は、当時ビリーが所属したキャピトル・レコードに移籍金を支払ってまで来てもらっている。そして69年4月~7月アップル・スタジオにてジョージのプロデュースのもと、アルバム『神の掟 That's the Way God Planned It』を完成させている。この時レコーディングにストーンズのキース・リチャーズも参加し演奏をしている。アップルでは、このほかアルバム『エンカレッジング・ワーズ』と4枚のシングルを発表して、71年にA&Mへ移籍。同年「アウタ・スペース」を発表、アメリカのチャートで2位を記録し、グラミー賞の「ベスト・ポップ・インストゥルメンタル」賞を受賞しています。この頃からストーンズとの交流がより盛んになり、今回紹介しますアルバム『スティッキー・フィンガーズ』や『メイン・ストリートのならず者』などのレコーディングにも参加。73年のツアーではオープニングアクトとして、75~76年のツアーではサポート・メンバーとして参加し、ストーンズをバックに自身の曲も演奏しています。
晩年は腎臓を患い、2005年11月に受けた腎臓移植手術後に意識不明の状態に陥り、2006年6月6日、アリゾナ州の病院で亡くなっています。享年59才でした。

そんなビリー・プレストンが参加した1971年ローリング・ストーンズの『Sticky Fingers』であります。ストーンズのアルバムの場合、デビューから68年くらいまでの時期が、英米で違うものがリリースされていて「○○枚目のオリジナル・アルバムです」と紹介しにくいのですが、マニアの方がいらっしゃいましたら、是非数え方を教えてください。(試聴はこちら
c0083028_92549.jpgこのアルバム、発売当時一番話題をさらったのが、アンディ・ウォーホルによってデザインされたジャケットでしょう。このジャケットLP時代には本物のジッパーが付いておりました。本物ですから上げ下げが出来るのですよ。天才というのは不思議なこと考えますよね。このジッパーの中に興味がある方は(こちらのサイト)へどうぞ。

前々回のチューブラーベルズ、前回の33・1/3ともにレコード会社第一弾、移籍第一弾という肩書が付いていたのですが、今回もストーンズ自らが設立した「ローリングストーンズ・レコード」第一弾であります。別に意識して繋げているのではないのですが、たまたま第一弾シリーズになっています。
前社のデッカ/ロンドンとは、70年7月末で契約が切れていますが、その前日にマネージャーのアラン・クレインとも契約を解除しています、ですがそれまでの楽曲の音源は彼のアブコ・レコードに渡って、更にこのアルバムに収録されている数曲もそこに権利が保有されていて・・・って、なんだか難しい話がゴロゴロしています。まぁ聞く側にとっては関係のないこと多いのですがね。

さてアルバムは勿論大ヒットしましたが、この年は名盤多いんですよ。ビルボードで5月22日に1位を獲得し4週間天下を治めますが、6月19日にはそれから35週に渡って天下を獲る「つづれおり/キャロル;キング」が現れるのです。それ以外にも、「All Things Must Pass/ジョージ・ハリスン」「Pearl/ジャニス・ジョプリン」「Paranoid/ブラック・サバス」「After The Gold Rush/ニール・ヤング」などが、このアルバムよりも年間チャートでは上位をとり、結局21位という年間チャートが記録されています。しかし、下を覘いても「いとしのレイラ/デレク&ドミノス」(71位)「Deja Vu/C,S.N&Y」(50位)「明日に架ける橋/サイモン&ガーファンクル」(55位)「Tarkus/エマーソン、レイク&パーマー」(75位)などなど名盤揃いで『1971年』という1冊のロックの本が書けてしまうのではないかというほどの豊作ぶりなのです。
ですが、2002年「ローリング・ストーン」誌のグレーティスト・アルバム500で63位に選出され、2003年にはTVネットワークのVH1が「最も偉大なアルバム・ジャケット」に選出し、グレーティスト・アルバムで46位に選出しています。
数あるストーンズのアルバムの中でも、BESTの1枚に名前をあげる人は少なくないでしょう。その人気の中でも、最も人気があるのがオープニング・ナンバーの「ブラウン・シュガー」であることは間違いないでしょう。

実は僕、ストーンズのライブって1回しか見ていないのですが、(ミックのソロでの初来日は見ましたが)その唯一見た98年の「Bridges to Babylon TOUR」のアンコールの最後も「ブラウン・シュガー」でした。70年9月2日にヘルシンキからスタートし、10月11日のミュンヘンまで繰り広げられたヨーロッパ・ツアーで「デッド・フラワーズ」「ブラウン・シュガー」が演奏されたという記述もありますので、随分年季が入ってます。
そしてこの「ブラウン・シュガー」って「スタート・ミー・アップ」とかで聞けるキース独特の5弦ギター曲の走りですね。オープンGのチューニング(6弦から1弦までをD-G-D-G-B-Dの順)で、6弦(D)を外してしまうという独特のギターの使い方から生まれる音なんですね。このキースのトレードマークのような奏法が初お目見えするのがブラウン・シュガーであります。

先の話のビリー・プレストンは、「Can't You Hear Me Knocking」「I Got The Blues」でオルガンを演奏しています。
あとにミック・ジャガーが「音楽的に最も充実していた期間だ」と語る、ミック・テイラーとの活動はこのアルバムが最初のフル参加です。彼の参加したアルバムは結局『スティッキー・フィンガーズ』『メイン・ストリートのならず者』『山羊の頭のスープ』『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』の4作品だけで、当時はキースとの関係なども取り沙汰されましたし、ミックは「彼はソロ経歴を積みたかったんだよ。僕が思うに彼はキースとうまくやっていくのが難しいと悟ったのさ。」と語っていたこともありましたが、のちにキースのソロ・アルバムへ参加したり、81年12月14日のストーンズのカンザスシティ、アローヘッド・スタディアム公演にミック・テイラーが参加。また86年12月28日のミック・テイラーのニューヨーク・クラブでのコンサートにはキースが参加していますので、まったくわだかまりのようなものはないでしょう。

スピード感溢れるハードロックが好きな向きには、少し退屈なアルバムかもしれませんが、ストーンズが海を渡りアメリカの音楽やそれに対する技術(演奏ばかりでなく、録音なども含め)に接した結果として打ち出してきたひとつの方向として、ロック史上を語るときに外すことが出来ないアルバムなんだろうと思っています。

さて、好きなことを書き綴るのは時間が幾らあっても足りません。続きは、お酒の席でしましょう。ヒヒヒヒヒ・・・では、次回の「友達の輪」は何処へ行くのやら、乞うご期待。
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# by modernworld | 2006-07-21 10:48 | ROCK

Vol.2 THIRTY THREE & 1/3

さて2回目です。「友達の輪」的な言い方でいきますと「昨日のマイク・オールドフィールドさんからのご紹介・・・ジョージ・ハリスンさんです!」となるんですが、いきなりジョージの紹介されても、何の繋がりかさっぱりわかりませんから、その辺りからお話を進めましょう。

前回ふれたようにVol.1のTUBULAR BELLSは制作の殆どをマイク・オールドフィールドはひとりでやっているため、関係者が通常のアルバムに比べ極端に少ないです。数人の参加ミュージシャンはいますが、クラシック畑の人だったり、非常にマニアックな世界に在住の人で、僕自身が音を聴いたことがない(ここ仙台で手に入るのか?)バンドに在籍したりするため、輪を広げられない関係者ばかりなのですが、なかに1名いました。超~売れっ子が。

c0083028_7192252.jpgその人は、Mr.SIMON HEYWORTHというエンジニアであります。
この方TUBULAR BELLSでは、マイク自身とTOM NEWMAN(ジュライというバンドでデビューしたこともあるエンジニア、マニアックなソロアルバムも数枚リリース)と一緒にプロデュースとして、クレジットされています。
この当時SIMONとTOMはTUBULAR BELLSがレコーディングされた、ヴァージンのスタジオ「マナーハウス」のハウス・エンジニアだったようです。この3人でスタジオに缶詰になって作りましたってことですね。

さて、このSIMON HEYWORTHですが、近年は「Super Audio Mastering」という自らのスタジオで、マスタリング・エンジニアとして数々の仕事をしています。(スタジオのHPはこちら
この人の評価で注目をしたいのが、“リマスタリング”という作業で非常に高い評価を得ているということでしょう。今日紹介しますジョージ・ハリスンの作品以外にキング・クリムゾン、ブライアン・イーノ、シンプル・マインド、スコット・ウォーカーなど、かなりの作品を蘇らせています。

「リマスタリング」という作業を耳慣れない方もいるでしょうから軽く説明しますと、従来アナログでレコーディングされていた、つまりレコードとして発表された作品をCD向けに音を作りなおす作業です。
CDが普及しはじめた当初は、このリマスタリングがされていない(に近い)CDが発売されたことや、デジタルのメディアを再生するには乏しい性能のオーディオで我々は聞いていたため「やっぱりレコードの方が音が良いよね」という見解を持っていました。
ところが近年、デジタル音源の再生を向上させたオーディオの登場と、このリマスタリング作業によってCDが限りなくレコードに近づいたものになっています。この件に関しては、(こちらのページ)などを参考にして頂くのが詳しいです。

そんなSIMON HEYWORTHの仕事っぷりは、通常リマスタリングなんて誰がやったなんて気にしないことが通常なのに、「あの人は。良い仕事してるよね」と、素人さんからも声が聞こえるほどの仕事っぷりです。アメリカではTed Jensenって人が評判良いのかな?宇多田ヒカルのシングル・コレクションなんかも手掛けてますね。
実は僕自身は、あまりこの「リマスタリング盤」ってやつを持っていないのです。というのが、そんなことが注目され出す以前に色々買い漁ってしまったからです!ですが1999年に発売されたビートルズの「イエローサブマリン~ソングトラック~」を買い、それまで持っていたビートルズ作品と聴き比べた時に、凄く音の違いに驚きました。

本当はリマスタリングも買い漁りたいのですが、経済的な問題は勿論ですが、ただでさえ「レコードがあるのに何故買った?」と問われるCDが多いもので、レコードもあり、CDが2枚あるという事態は避けたいところです。
でもジョージ・ハリスンに関しては、いずれリマスタリング盤を聴きたいと考えていますので、今回取り上げてみました。

c0083028_841524.jpg何だか前置きが長くなってしまいましたが、1976年11月リリースの「不思議の壁」から数えてジョージ7枚目のオリジナル・アルバムです。日本では1ヵ月半遅れの12月20日に当時はワーナーパイオニアから発売になっています。
今回の「友達の輪」の主人公SIMON HEYWORTHによるリマスタリング盤の発売は、2004年になりその際には、1981年作品『想いは果てなく~母なるイングランド』 (Somewhere in England )のアウト・テイクである「Tears Of The World 」がボーナス・トラックで収録されています。

『THIRTY THREE & 1/3』というタイトルは、若い方には馴染みがないかと思いますが、レコードの回転数です。一般的にLPは33 1/3回転、シングルは45回転です。シングル盤サイズで33 1/3で4曲入りとか、LPサイズで45回転のもの(こちらは通常音質を追求して作られた)もありましたが、一般的にはLPの回転数です。
その回転数の数字と同じ年齢に達したジョージが制作したのがこの作品です。
前作の『ジョージ・ハリスン帝国』 (Extra Texture)を最後にビートルズ時代から過してきたアップル・レーベルを離れ(リリース順的には、ベスト盤が最後ですが、オリジナル・アルバムとして最後)、ダークホース・レーベルと契約します。そのダークホースからの移籍第一弾がこのアルバムになります。

ロンドン郊外のヘンリーオンテムズにある自宅、フライアー・パークで1975年5月24日にレコーディングを開始しますが、6月に咽頭炎(一説には肝炎とも)で体調を崩し入院を余儀なくされます。そのため当初はワーナーからのリリースではなく、A&Mからのリリース予定だったダークホース・レーベルですが、ジョージの入院によりアルバム完成期日だった7月26日に間に合わなくなってしまいます。
それを9月28日にA&Mは契約不履行として1,000万ドルの損害補償請求を起こします。9月7日には「My Sweet Lord」の盗作訴訟で有罪判決を受けたばかりのジョージにとっては、踏んだり蹴ったりの時期でありますが、10月にワーナー社がダークホース・レーベルの配給契約をし、おまけにA&Mへの違約金も肩代わりしてくれ一件落着します。

最初の妻であるパティ・ボイドとの仲がこじれ、パティはクラプトンの元へ行き(正式離婚は翌77年6月9日)オリビアとの交際がスタートするのも丁度この時期です。そんな激動の時を年齢をタイトルに使うあたりに、彼の心の内が伺えるような気もします。

アルバムの内容的には、非常にPOPな仕上がりで、全体的に日本の大御所ヒットメーカーたちに影響を与えたのではないかと思われるナンバーの数々ですが、4曲目に収録されている「THIS SONG」では、My Sweet Lordの盗作問題に対する気持ちが歌われていたり、8曲目にあるスモーキー・ロビンソンに宛てた「PURE SMOKEY」では、台頭してきたパンク・ロックへのメッセージとも取れるものを歌ったり、またヨガの聖人ヨガナンダを称えたコール・ポーターのナンバー「True Love」をカバーしたりと、POPな中にも決して忘れていない“彼なりの”メッセージが伺えます。(試聴はこちらです

最後にレコーディングが行なわれた、フライアー・パークの写真が見られるRushさんのサイトを紹介しておきます。(こちらです
アルバムの中ジャケットに写るフライアー・パークでのジョージと父ハロルドがALL THINGS MUST PASSに登場する小人たちに囲まれた写真を見ていると、彼らは今でもここで楽しく毎日過しているのではと思えてきます。

さて、このアルバムは凄腕ミュージシャンが沢山参加しています。さて次回は誰が登場するのか、乞うご期待。
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# by modernworld | 2006-07-20 10:47 | ROCK

Vol.1 TUBULAR BELLS

c0083028_7161224.jpg記念すべき第一回は、マイク・オールドフィールド『チューブラーベルズ』1973年発表(レコーディングは1972年秋)の作品です。(試聴はこちら

ご存知の方は「最初からブログ・コンセプトに逆らい、人間関係が薄弱なアルバムをセレクトしたな」と思われたでしょうが、だから敢て選びました。そうでもしておかないと、この大好きな名作をずっと紹介することが出来なくなってしまうからです。
ご存知ない方に説明しますと、このアルバムのレコーディングは殆どをマイク・オールドフィールドひとりでこなしているのです。「PART ONE」「PART TWO」の二曲で構成されていますが、何れの曲も彼の地道な“重ね取り”によって生まれたアルバムです。

クレジットを見ると、彼が演奏をしているのは、GRAND PIANO、GLOCKENSPIEL、FARFISA ORGAN、BASS GUITAR、ELECTRIC GUITAR、SPEED GUITAR、TAPED MORTOR DRIVE AMPLIFIER ORGAN CHORD、MANDOLIN-LIKE GUITAR、FUZZ GUITAR、ASSORTED PERCUSSION、ACOUSTIC GUITAR、FLAGEOLET、HONKY TONK、LOWREY ORGAN、CONCERT TYMPANI、GUITAR SOUNDING LIKE BAGPIPES、PILTDOWN MAN、HAMMOND ORGAN、SPANISH GUITAR、MORIBUND CHORUS、となっています。ハッキリ言ってしまうと、一人で制作をしたことを売りにするために数稼ぎで付けてるものもありますが、そこは目を瞑ってください。

このアルバムは、全世界で1,600万枚以上売れたと言われていますが、そのきっかけとなったのは、映画『エクソシスト』での採用です。この映画のヒットとともに、この曲はヒット・チャートを駆け上がってくるのですが、ラジオから流れる「エクソシストのテーマ」と紹介されるこの曲は、PART ONEの冒頭の一部分だけなのです。LPの片面すべてを使い奏でられる25分に及ぶ大作ですが、3~4分の使用でしかない「エクソシストのテーマ」というシングル盤が流されているのだから当然のことなのです。
ある時にこの作品がそんな壮大なものだと知った僕は、この作品を全て聞いてみたくなり、当時「週刊FM」や「FM fan」という雑誌を毎週眺め、全曲聞くことができるチャンスを伺いました。
当時は東京でも、FM局はNHK-FMとFM東京の二局しかなく、先のような雑誌が存在して1~2週間前くらいから放送される楽曲が発表されていた。そして「エア・チェック」。これも今や死語になってしまったが、そうして目星をつけた番組を録音したりすることをエア・チェックと呼んでいたのだ。

そうして全曲を聞くことが出来たのは、発表から既に1年が経っていたのだと思います。その当時録音をしたテープは手元に残っていないですが、チューブラーベルズの演奏終了後にニューアルバムとして、2枚目の「ハージェスト・リッジ」も演奏されたことを覚えているからです。レンタル屋など存在しない、買えないレコードはFMを録音したり、友達と貸し借りするしかなかった時代があったのです。

このアルバムには、マイク・オールドフィールドのデビュー・アルバムという肩書以外に、“ヴァージン・レコード第一弾”という肩書があります。
世界的な実業家で、熱気球の冒険家として勇気あるチャレンジも有名な、ヴァージン・グループの創始者、リチャード・ブランソン氏が1972年に立ち上げたヴァージン・レコードからの最初のレコードがこのアルバムなのだ。このアルバムの成功がなかったら、世界中を飛び交う“ヴァージン・アトランティック航空”も、CDストアの“ヴァージン・メガストア”も存在せず、“ヴァージン・コーラ”で喉を潤すことも出来なかったかもしれないのである。

TUBULAR BELLSは、このオリジナル盤以外に『Orechestral Tubular Bells』や『THE BEST OF TUBULAR BELLS』という別ヴァージョンも発表されているので、それを聞き比べるのも興味深いです。
最後に1973年の発表当初に聞いて「なんだよ、楽曲は良いけどノイズだらけじゃないか」と、それ以降聞くことをやめてしまった方がいたならば、今一度CDで聴いてみていただく事をお勧めします。現在のCDは、あの当時の耳障りなノイズは取り払われ、作品そのものを楽しめるものに編集されておりますので、是非!

さて、初回から自分に高いハードルを作ってしまいました。次は何が来るのか、乞うご期待。
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# by modernworld | 2006-07-19 08:48 | ROCK